俳優として活動している西垣匠(にしがき しょう)さん。
『ドラゴン桜』や『みなと商事コインランドリー』など話題作に出演し、
2024年のヒットする俳優に選ばれています。
そんな西垣匠さんの父親について調べてみました。
西垣匠の父親
西垣匠さんの父親は、
西垣仁志(ニシガキ ヒトシ)さん
といい
オリンピックの日本代表選手
に選ばれた経歴や
日本フェンシング協会の日本代表チームのコーチ
高校のフェンシング部の先生
を務められていた素晴らしい経歴をお持ちの方です。
西垣匠の父親のプロフィール
公益財団法人日本フェンシング協会のホームページより
父親である西垣仁志さんのプロフィールが記載ありました。
- 生年月日 1967年11月13日
- 出生地 鳥取県
- 最終学歴 法政大学
出身は鳥取県と記載ありますが、
西垣匠さんは石川県出身と公表しており、
父親の西垣仁志さんは、現在石川県にある「金沢西高校のフェンシング部」の先生をしているため、
進学や結婚に伴って石川県へ移住したようです。
西垣匠の父親の経歴
西垣匠の父親である西垣仁志さんの経歴についてまとめました。
- 1985年 全国高校総体 優勝
- 1991年 全日本選手権大会 優勝
- 1997年 全日本選手権大会 優勝
- 石川県立公立高校教師
- 1990年~1997年 世界選手権に多数出場
- 1998年 ソウルオリンピック日本代表選手に選出される
- 1995年~ 協会のスタッフとして世界選手権に帯同
- 2018年 フェンシング女子エペ日本代表監督
1988年のソウルオリンピックでは
代表選手に選出
された実績があります。
しかし、「フルーレ」という種目の選手のみ出場となり、
西垣仁志さんが選出された「エペ」や「サーブル」の選手は出場できなかったそうです。
選出されたという実績だけでも素晴らしいですよね。
西垣匠さんは、1999年生まれのため、
西垣匠さんが生まれる頃に日本代表選手として活躍していたことになります。
生まれる時にスターだった自慢の父親ですね。
西垣匠の父親は高校の先生
西垣匠さんの父親が、フェンシング日本代表選手の西垣仁志さんであることは、
「ドラゴン桜」に出演した際のインタビューで記載があります。
西垣は、全日本選手権大会で優勝2回を誇る全日本女子エペヘッドコーチの父親・西垣仁志氏の影響で競技を始め、エペの選手として活躍した。
スポーツ報知
また、父親の西垣仁志さんが先生を務める「金沢西高校のフェンシング部」のブログに
以下のように記載がありました。
なんと!2に、一昨年卒業したレイナのお兄さんであり、年末にエペ講習会の講師をしてくださった西垣先生のご長男、西垣匠一郎君が出演していまーす
西垣匠さんの本名は西垣匠一郎(にしがき しょういちろう)
といいます。
部活のブログで、出演番組を応援してくれるとは愛を感じますね。
西垣匠の学生時代と父親
「金沢西高校のフェンシング部」のブログには、
お父さんは女子エペナショナルチームコーチ西垣仁志先生です。
脚の長さはお父さん譲りです。
と西垣匠さんが、紹介されていました。
上の写真は、少年時代の西垣匠さん
下の写真は、左:父親の西垣仁志さん 右:西垣匠さん
のようです。
脚が長いと紹介されている通り、西垣匠さんは昔からスタイル抜群ですね。
父親との写真から仲の良いほのぼのした様子も伝わります。
フェンシング部に可愛がられる
また、別の日には
西垣先生のお子さん、匠一郎君とれいなちゃん
とも記載があり、西垣匠さん兄弟は、
西垣仁志さんが先生を務める「金沢西高校のフェンシング部」のメンバーに
昔から可愛がられていたようですね。
西垣匠さんには
西垣玲那(れいな)さん
という2歳下の妹がおり、
妹も同様にフェンシング部で活躍していました。
西垣匠の兄弟・妹については以下の記事に記載しています。
西垣匠もフェンシング部で活躍
西垣匠さんは、父親の影響で、
小学校3年生からフェンシングを始めています。
全国6位の実力
フェンシング部で高校時代には
1年生:日本代表で欧州の大会・カデ(U―17)サーキットに出場
3年生:全国高校総体(インターハイ)6位
のという輝かしい実績を収めています。
金沢桜丘高校のホームページに以下のように記載がありました。
高校総合大会では優勝経験もあるようですね。
高校時代には、男子エペ団体の
見延和靖さん、山田優さん、加納虹輝さん
と対戦したこともあると話していました。
西垣匠は父親に教わる
西垣匠さんは
出身高校は金沢桜丘高校
ですが、
金沢桜丘高校にはフェンシング部はなく、放課後に1人で父親が先生を務める
「金沢西高校のフェンシング部」
に通っていたそうです。
父親の影響
フェンシングについて、インタビューで
僕の青春時代を支えてくれたスポーツです。スピード(と実力)ではフルーレは勝てないと思い、父親の教えていたエペ1本にしました。
と答えています。
フェンシングというスポーツを選んだことだけでなく、
種目まで父親と同じにするとは、
父親の背中を見て、憧れ学びながら、
フェンシングに励んできたことがよく分かりますね。
西垣匠は父親に認められ俳優へ
西垣匠さんは、高校時代の高総体6位という結果を受けて、
「悔しい」より「やりきった」
と感じたため、
フェンシングの世界ではなく、俳優の道に進むことになります。
その際のご両親の反応が気になりますが、
西垣匠さんが「ミスター慶應」でグランプリを獲得した時に
「自分のやりたいことがあるならば、それを目指すのもいい」
と父親にも納得してもらえたそうです。。
まとめ
西垣匠さんの父親は
- オリンピックの日本代表選手
- 日本フェンシング協会の日本代表チームのコーチ
- 高校のフェンシング部の先生
である
西垣仁志(ニシガキ ヒトシ)さん
であることが分かりました。
西垣匠さんも学生時代は、父親に習いフェンシングに打ち込み、
輝かしい成績を収めていました。
場所が変われど、父親は西垣匠さん頑張りを応援してくれていることでしょう。
今後の活躍を応援しています!